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漢鐘離―かんしょうり―

 都江堰(とこうえん)のベンチに、ある一人の男が腰かけていた。
 姓は「鐘離」、名を「権」といい、列候の官である父を持つ。髪は黒く、年も四十に満たなかったが、切れ長の目で眉間に深い皺が刻まれた顔はうつむきがちで、実の年齢よりも老けて見える。遠くから兵士が走ってくるのを察知すると、鐘離はゆっくり顔をあげた。
「将軍、扶桑(ふそう)より使者が参りました。吐番(とばん)の兵は三十万、総計五千万の人員を率いているとのこと。辺境の僅かな兵では手も足も出ずに東へと撤退してきたそうです」
 それを聞いて鐘離はしばらく沈黙した後、苦々しく呟いた。
「そんなとこだろうと思ったがな......」
 若くして兵法の才を認められ、鐘離が仕官したのは僅か十八歳の時である。
 仕官が早かったお陰で今までに沢山の功を成し、父を含む諸侯の期待に応えてきた。当然同列の位にいたものからは常に妬みの対象であったが、鐘離はそんな者たちに興味がなく、「弱小者」と蔑んで見向きもしなかった。
 しかし最近、鐘離を失脚させようと企む内部の敵が力を持ち、見ないふりを続けるわけにもいかなくなってきた。彼の出世をよく思わない者が、朝廷の臣下には多い。そんな奴らに目を配り、気の置けない日々を過ごしていた。そして今回、志の弱い者たちが上に取り計らい、鐘離を吐番征伐の大将として推挙させたのだ。彼らの狙いなど鐘離には見え透いていた。
「官軍(こちら)の編成は兵五十万だったか......。数こそ立派だが、半数近くは足を引っ張りそうな病弱な兵や年寄りばかり。兵をまともに操れる武将の助力も見込めないとは。一方の吐番軍は粘不聿(ねんふいつ)を将に立て、数日の戦闘を経ても、ほとんど兵力を削られていない......。奴らに欠点を見抜かれれば、返ってこちらが不利な状況だ」
 普段弱音のようなものを吐かない男の意外な発言に、兵士が驚いて訊ねた。
「......将軍は官軍が敗れるとおっしゃるのですか?」
「馬鹿を言うな。何としても勝つ、負けは許されん」
 鐘離は一瞬兵士を睨むように見た後、さっと立ち上がり歩み出た。

 平地一帯に車仗や兵士、食料係など、すでに全員が戦争の準備を整えて整列していた。
 緊張が高まる中、鐘離はすべての人から見える位置に立つ。
「よく聞け、これから夷狄を討ちにいく。我が国の領地に押し入り、婦女や物を略奪し続けている悪党どもだ。吐番は古より我らに従属し、吐番王は朝廷から封職を賜る身であった。しかし今や恩義を忘れ、領地を侵犯しながら扶桑まで迫ってきている。中原の土地にこれ以上害を及ぼさぬよう、我が軍は前進あるのみ。軍規を守れぬ者、指示に従わず規律を乱す者がいれば、直ちにその者の首を切る。心して我が国の為に働くように!」
 鐘離の凛とした号令を聞いて、兵士たちは掛け声を上げた。それを合図として、軍は行進を始める。軍隊は三つに分けられ、勇ましい太鼓の音が規則だって兵士たちを誘導する。やがて向こうから敵軍の人波をみつけると、兵士たちは皆険しい顔立ちになった。
 これから自分たちの命を懸けた戦いが始まる。足を止めて列を正した。
 大砲がなり、太鼓が一斉に鳴り出すと、いよいよ両軍決戦の火ぶたが切って落とされた。
「天下は万民の天下。強い者のみがこれを支配できるのだ!」
 敵軍から大きな声が上がった。揺らめく吐番の旗に囲まれて、がっしりとした体躯の覇気に満ちた武人が馬上からこちらを睨みつけている。あれが粘不聿、鐘離がそう確信するのに時間はかからなかった。
「私も同感だ。朝廷に対し牙を向いたらどうなるか身を持って知れ」
 鐘離は槍を構え、馬に鞭を打って突進した。精鋭を集めた周りの兵は大将である鐘離を守るように戦っている。鐘離が望んだのは、大将同士での真向勝負であった。
 不聿は鐘離にわざと隙を見せるかのごとく馬を返して、一目散に逃げる。追ってくる鐘離の姿を確認すると、素早く弓に矢をつがえて放った。
 ほんの紙一重の差でかわすが、矢は鐘離の耳を掠めていた。それでもひるまずに馬を操り、間髪入れずに槍を突き出して反撃する。不聿は槍で急所を突かれそうになり、咄嗟に手でそれをつかむようにして弾く。互いに軽傷を負わせながらも、互角の渡り合いで決着がつかない。
 埒があかない、そう悟ったのか、不聿は再び馬を返し後退した。
 鐘離の方も追うのをやめ、日暮になる前に自らの陣営へと戻った。

 一夜が明け、鐘離は昨日の反省を踏まえて、作戦を変えた。自身は見張り台の上から敵軍の様子を伺う。
「将軍、お呼びですか?」
若い兵士が一人見張り台に上ってきた。先ほど鐘離自身が珍しく大声を出して呼びつけた憑巳(ひょうい)という男だ。
「おい、あの陣形を知っているか?」鐘離が指す方向に目をやると、何としたことか、吐番軍は物々しく陣形を組み、人の周りは八つの門戸で固められている。
「いえ......、初めて見ました」
「これは八門金鎖の陣、下手に手を出せば味方は陣中に引き込まれる」
「ではどう攻めるおつもりですか?」
憑巳はまっすぐ姿勢を正して鐘離を見た。
戦場で大将に呼び出されたというのに揺るぎない態度。他の年若い兵士と比べても、一線を画する存在だ。
「陣には八門、すなわち、休、生、傷、壮、景、死、驚、開がある。攻めるなら休、開の二つの門からだ。それ以外から入れば凶を招く。私の考えでは恐らく、東南の青旗の門が休、東北の黒旗の門が開だ......。少数精鋭で休から切り込みをかけ、敵を蹴散らし開の方へ向かって陣を抜ける。また開の方から入り、休から抜けるといった攻め方をすれば、陣を内側から大破させることができるだろう」
「では軍を分けて、陣形を崩した後に四方から攻めるおつもりなんですね?」
「そうだ。故にこの作戦は将を二人立てて行う。精鋭三千兵を率い、敵陣へと突入する役目をお前に任せる。残りの兵は昨日の夜のうちに、敵陣の四方に待機させておいたからな......」
またとない大役を授かり、憑巳は高揚していた。ここで手柄を挙げれば大出世間違いなしだ。若者らしく意気込みを露わにする彼の様子を目にして、鐘離の口からふと他愛もない一言が出た。
「憑巳。お前、年はいくつだ」
「え?」
憑巳は思わず目を丸くした。普段の鐘離なら部下とは必要な質疑応答ばかりで、無意味なやりとりなど挟まない。明らかにらしくない言動だ。しかもこの大事な時に――――。
聞いた事すら後悔して、黙りこくった鐘離とは対照的に、憑巳はその言葉を好意的に受け取った。心なしか胸を張り、誇らしげに答える。
「安心してお任せください将軍。私はもう十八になりますから」
憑巳は吐番の陣営を詳細に観察し、仲間の前で鐘離の指示を反復する。三千の兵たちに呼びかけ、いよいよ攻撃を仕掛けていった。見張り台から敵の陣中に切り込んでいく味方の姿を、鐘離は見張り台から確かめた。吐番軍は予想通り大混乱となり、鐘離の指示で後から流れ込んだ官軍本体が敵陣を見事袋叩きにした。悲惨な屍が野原を覆い、血は川となって流れる。
勝敗は確定的なものとなり、占拠した敵陣の真ん中で憑巳は喜びの雄叫びを発した。

 さて、大勝に湧き上がる官軍をよそに、一人の仙人が戦場の近くを偶然通りかかった。

「やれやれ、戦争か。物騒じゃのー、誰じゃこんな惨いことに手を貸した奴は」
 不自由な左足を引きずりながら、鉄の杖をついて戦場に向かい歩いてくる初老。
「もしやワシがこれから会おうと思っとる相手じゃあるまいかのー。うむ......ジジイ語はなかなかむずかしい」
 棒読みな独り言をぶつぶつと呟きながら、ある地点に来ていきなり――――、
「どーちーらーにーしーよーうーかーな」
などと歌い始め、直角に突き立てた杖の持ち手をぱっと放す。重力に従って地面に倒れた杖。その方角をみて不気味にニヤリと笑った。
「ふむ......では神様の言うとおり、あっちにしようかのー」

 同時分、敗れた吐番軍の不聿は成すすべもなく、生き残った兵たちと野営をしていた。
 不聿は陣を捨てて敗走し、追手の兵を何とか振り切って逃げた。あの状況では、こうするより他に、軍を全滅から守るすべがない。報復してやりたいが、兵力は大幅に削られてしまった。大敗のまま国へ帰れば厳しい罰を受けねばならないだろう。その場にいた誰もが絶望し、ただいたずらに時を過ごしていると、外から見張りの兵が幕舎の中に入ってきた。
「将軍、幕舎の外に一人の老人が来て、将軍に会いたいと申しております」
 不聿は老爺を幕舎へと呼び、訊ねた。
「翁、何の用だ?」
 老爺は鉄の杖を突きながら不聿の近くまで歩いてきた。しかし跪こうともせず、座ってる不聿を逆に見下ろす形で話し始めた。
「喜べ将軍、天の気はお主に味方しておる。この戦は吐番軍の勝利で幕を閉じるぞ」
「何を言ってる!これだけの犠牲が出ているのに......。お前は何様だ!」
 周りの兵士が怒って怒鳴る。それでも老爺は不聿から視線を外さず、飄々と話し続けた。
「見てわからんかの?まあお前さん達にとっては正直誰でもいいんじゃろ?自軍を勝たせてくれるなら......。方法はあるぞ、今日の夜は西風がかなり強い。敵陣の背後から迫り、火を放つんじゃ。確かに兵力は削られたが、精鋭はまだ残しておるじゃろう」
「今晩、奇襲をかけろということか......」
 ずっと押し黙っていた不聿が口を利いた。
 老爺はゆっくりうなずく。
「勝ちたいと思うなら好機は今夜だけじゃ。相手も流石にこれほどの大差があれば油断しておる。少なくとも今日奇襲を狙うとは考えておらんじゃろう」
 それだけ言って、老爺は煙のように消えてしまった。突然のことで兵士が驚き、ざわざわと場が乱れる中、不聿は太鼓係がらバチを奪って太鼓を打った。
「出撃だ。皆には悪いが手短に飯をとれ。すぐに出るぞ!」
 不聿の一声で、彼らは一瞬にして軍隊に戻った。

 一方、戦い終えた官軍の幕舎では、兵士たちが、互いに労をねぎらっていた。同僚たちが騒ぎ、浮かれる中で、憑巳だけは鐘離に進言する。
「兵力も半分以下になったとはいえ、あちらの主力が残っている、油断は禁物です」
 鐘離は頷いて、憑巳に外の見張り番を命じた。

 夜も更け、そろそろ兵士たちも疲れて眠ろうとしていた時であった。
 パチパチと何かの燃える音が微かに聞こえる。松明の火かと思われたが、突然の突風が吹き、一瞬にして野原一体を覆う大火に変わった。
 次から次へと陣営に火が移り、それに乗じて昼間打ちのめしたはずの吐番兵が四方から攻めて来た。準備のない兵たちは混乱して騒ぎ立てるばかりで、太鼓の音も聞こえずに統制が全く取れない。
 鐘離はしてやられたと思い、槍を手に再び敵将の不聿と相対した。しかし今度は単身であったために周りの兵にも手を出され、複数の敵に囲まれてしまう。
 いよいよ絶体絶命の鐘離を助けたのは、やはりあの若者であった。
「将軍、お逃げください!」
 背後から敵兵を蹴散らして道を作った憑巳は、鐘離に叫んだ。鐘離は馬に鞭を打ち、一瞬の隙をついて敵の包囲を破る。迫りくる炎の勢いは増し、今度は鐘離の方が陣を破棄せざるをえなかった。どれくらい経ったのか。行くあてもなく、知らない道をただ進むだけ。山の向こうでちらついていた火も途中から見えなくなり、吐番の追手が鐘離の後を追ってくる気配もなかった。
 まさに悪夢だ――――。単身、がむしゃらに闇の中を進む鐘離の頭の中には、さまざまな思いが過った。すべては結果で見られるのが戦人の常。一部の奴らは自分の企みが上手くいったとさぞ喜んでいるだろう。そう思うと悔しさのあまり奥歯をぐっとかみしめる。いっそあの場で殺されていた方がマシだったかもしれないとすら感じた。朝廷にはもう顔向けができない。

 馬から降り、疲労と飢えでふらふらになりながら川の方へと歩く。
 川に身を投げてしまおうか。自暴自棄になった鐘離の心の迷いは、川を覗き込んだ瞬間、一気に吹き飛んでしまった。
「なんだこれは......」
 まず驚いたのは自分の容姿。
 黒々としていた髪の毛が、いつの間にか白髪に変わっている。ちゃんと確認しようと、髷を解いてみても、やはり白かった。体中を見回してみたが、他は特に変わった様子はなさそうだ。
 しかし、自分が持っていた槍が見当たらない事に気が付いた時、どこからか自分以外の男の声がした。
「お主の槍ならワシがちゃんと持っとるぞ?」
 鐘離は慌てて周囲を警戒する。草陰から姿を現したのは、追ってきた敵兵ではなく、鉄の杖をついた老爺だ。
「誰だ、貴様は......」
「ワシか......ワシは李鉄拐(りてっかい)。ちぃと遠いところから旅をしてきてのー。お主、今暇じゃろ?ワシの旅に付き合ってくれんか?」
 それはあまりにも唐突過ぎた。
 鐘離はといえば、その一言に怒りを通り越して嫌気がさす。こういう状況でなくとも、こんなふざけた老爺に誰がついて行くというのだ。鐘離が“暇”であることは確かだが、当然今そんな気分になれるはずがない。
「冥府への旅なら一人で先に逝けジジイ」
 一言吐き捨てて、鐘離は背を向けたまま動かない。李鉄拐は困り果て、手に持った扇でパタパタと扇ぎ始める。
「つれないの~、お主の敗北はどうせ天運で決まっておったこと。潔く諦めるんじゃな」
「運か......確かにあの敵将に比べて、私に足りなかったものといえばそれくらいだ」
 自嘲気味に鐘離がつぶやいたのはただの独り言であって、別に李鉄拐相手にではなかったが。
「いや、そうでもないぞ?」
 首をひねって鐘離が目で抗議するのを遮り、あるものが彼の面前に差し出される。
「忘れ物じゃよ」
 芭蕉扇―――、彼の持ち物にそんなものはない。しかしよくよく見れば鐘離はそれを知っている気がした。形こそ大分違うが、それは彼の愛用していた槍だ。
「もっと喜べ、天に選ばれたのはお主の方なんじゃから」
 その芭蕉扇を受け取った瞬間、将軍としての鐘離が死に、仙人・漢鐘離の人生が始まった。

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天界のとある「禁」を犯してしまい、
下界に追放されてしまった一人の天才笛吹き。
水面下で起こる驚天動地の事変に巻き込まれながらも、
幼い兄妹をお供に連れて「人探し」の旅を続けていた。

この物語は仮想中華をテーマとしたファンタジーです。
「東遊記」のオマージュ要素を含みます。
史実との関連性は全くありません。
引用された実在の名前も、物語では設定が異なります。
実際の「東遊記(エリート出版社)」や八仙については、
「東遊記About」をご覧ください。

● 本編(朔月と笛吹き)
序章「うさ耳美少女誕生秘話」
一話「ハロゥワーク」本文32p
二話「天才天子穆王」本文33p
三話「嵐の前の静かな笛」本文35p
四話「舞萩の言祝」本文46p
五話「藍采和師父」本文32p
六話「豊邑の崖」本文37pnew
七話「地竺の国の美美」サンプル26pnew
八話「意に染まぬ婚姻」サンプル12pnew
● 蟠桃会編
  西王母のお誕生日会。本編より少し遡った話。
一、「開会式」(済)
二、「宰相会談」(済)
三、「母への手紙」(未)
四、「御前試合」(未)
五、「招かれざる客」(未)
六、「西王母の神具」(未)
● 成仙
  遥か遠い昔話。八仙人がそれぞれ仙人になった理由を
  西王母が語る。オムニバス小説。
一、李鉄拐
二、漢鐘離
三、呂洞賓
四、韓湘子
五、曹国舅
六、何仙姑
七、おまけ